創刊
2022年9月9日発送
「NF BOOK No.01」に誤植がございました。
深くお詫び申し上げますとともに、下記の通り訂正させていただきます。
≪誤植箇所≫
[P2]
CARALOG
CATALOG
[P11]
目下、アメリカのニューエイジ / アンビエント・ブームの一旦を担う
目下、アメリカのニューエイジ / アンビエント・ブームの一端を担う
[P25]
発売・・s ISBN・・・978-4-416-52012-3
発売・・・2021年7月12日
ISBN・・・978-4-416-52012-3
[P45]
無印良品のこたつ布団は家庭用洗濯機で洗うことがきるので、
無印良品のこたつ布団は家庭用洗濯機で洗うことができるので、
[P49]
2008年北京、012年ロンドン五輪に出場。
2008年北京、2012年ロンドン五輪に出場。
[P81 ※02 マルクス・ガブリエル]
『真実存主義』
『新実存主義』
[P131 QUESTION ”この期間”はアーティストとして、プラスでしたか?マイナスでしたか?]
それが出来きたことが一つ。
それが出来たことが一つ。
[P135 ※01]
「あゆみの箱」の提唱者.堕としても知られる
「あゆみの箱」の提唱者としても知られる
第一弾のテーマは「RFA/Record for Adaptation」。
『NF BOOK No.01』は、この時代、コロナ禍で巻き起こる現象にサカナクションはどのように“適応”し、これから“適応”していくのかを体現するプロジェクト【アダプト】を読み解くために、サカナクションのメンバー5名と、彼らがこの期間中に活動を共にした20名のクリエイター(俗称:アダプトクルー)の約2年間の思考と行為、そしてそこから導き出される物事を記録する試みです。
アートディレクションは平林奈緒美さん、編集は『魚図鑑』も編集した伊藤総研さんが担当します。
はじめに…P.003
CATALOG…P.004 - P.049
INTERVIEW…P.050- P.139
山口一郎邸/ 2022年6月9日18時12分…P.140- P.141
活動年表…P.142- P.143
クレジット・奥付… P.144
144ページ
174mm×220mm
不思議なんですけど、上京したばかりの頃のような感覚でした。札幌から東京に出てきて、いきなりミーハーな世界に飛び込んだというか。全然知らなかったことを、一気に吸収していたんです。決まったシステムの中ではみんな狙いが同じような戦い方だったけれど、コロナ禍ではもっと、試行錯誤しながら藪漕ぎしている感覚というか。ヒグマとかとも、コロナ禍でまたコミュニケーションを取り直すようになりました。あまりコミュニケーション取らずともよかった人とも、取らなかった人とも、取らないといけなくなった。もっといい方法ないの? みたいなことを見つけるのも面白かった。面白かったというか、今、ナウですけど。
楽しんでやることができたと思います。制作の前半はリモートワークだったですが、メンバーに音を伝えることに関しても、その核や理由の部分をしっかり固めたうえでやり取りをして構築していました。自分の好きなものを凝縮することができたし、メンバーの伝えたいと思っていることが以前よりも理解しやすくなりました。今までよりも、無駄なものをどんどん無くしていった作品だと思います。
クリエイション、ものを作るっていうことは、現状を飛び越えてその先のまだ知らないものをつかみ取ることなんですね。その現状に適応する術を知らなければ、それを超えることはできないと思うんです。ものを作る上で必要な能力だと思うから適応はしていきたい、適応できるように挑戦はし続けたいと思いますね。
ワンコをお迎えしたことですね。名前は「ぐうたん」です。結果的にコロナが広がっていくタイミングと同じくしてぐうたんとの生活が始まったので、プライベートなことですけど、生活に180度変化がありました。
なんぼか本は読んでいるんですけど、印象に残ってるのは『星の王子さま』ですね。人に勧められたというか、「読んだことないの?」って言われたんすよ。読んでみたら、すっげー刺さりました。子ども向けなのかと思いきや、「イタイイタイイタイイタイ」みたいな感じで。もう、名言だらけですね。よかったのは、「たとえば、君が夕方の四時に来るなら、ぼくは三時から嬉しくなってくる」っていう。なんかいいなと思いました。
ラジオ業界に入った時、20代はプライベートを捨て、どんな仕事がきても脊髄反射で反応して動くかのように突っ走ってきました。その代わり、10年経ったら一度立ち止まろうとも決めていたんです。2020年で30歳になったので、ライフステージの変化の予定と重なった時期になりましたね。
一緒にお仕事を始めて、もう13年ですからね。生活の一部かな。衣・食・住・サカナクションみたいな感じがしています(笑)。
俺、一郎くんを抜いた4人のスタイルを「サカナクションマイナスワン」って呼んでいるんです。このネーミング、すごく気に入っているので、ぜひオフィシャルにしてほしいな。あの4人だけのインストゥルメンタルを作るセクションみたいなものがあるべきじゃないかと思うし、また仕事したいなと思っています。サカナクションとも、サカナクションマイナスワンとも。
得たことしかないですね。いままで必要だと思っていたことが、そうではないと気づいたりと、様々なことが篩(ふるい)にかけられた気がします。またその逆に、コロナだからといって無理やり変えなくてもいいこともあるということが分かったのは大きかったですね。
適応してたまるかと思っています。
得たものは、多くの人との繋がりですね。特にお客さんとの距離の近さは長右衛門窯始まって以来な気がします。失ったものはコロナ禍になってオンライン販売が中心になり、お客様が店頭で商品を選ぶことができなくなったことです。僕たちが作るものは、職人の手から生まれるものなので、一点一点同じなようで個体差があるんです。その違いをこれまでは、どちらかと言うとネガティブなこととして捉えていたんですが、リアルな場所での販売が減った分、選ぶという行為や個体差が逆に特別なものになったとも感じています。
失ったものは、祝祭感? かな。平坦な感じはしますよね。例えば遊び過ぎてぶっ倒れるとか、楽しみ過ぎてぶっ倒れるとか、はしゃぎまくるとか。そういうテンションの幅みたいなのは、やっぱり滑らかになった気がしますね。熱狂もないし、自分の熱狂を繰り出すことが難しくなってる気がします。が故に、やっぱり新しく熱狂できることを探さなければならないってモードにはなってきました。それが、今、音楽がアンビエントからパンクにいったように。自分の中でロックなもの、パンクみたいなものを、やっぱり生み出していかなきゃなんないなっていう気がしますよね。チルだけでは、もう駄目だよっていう。チルへの飽きっていうのは、全体として出てくるんじゃないかな。
していけると思います。僕という個人が海外に行って自己紹介するとなれば、「I am a “LOOPWHEELER”」でしかない。〈LOOPWHEELER〉が自分の全てとまでは言いませんが、中核を成すものにはなってしまっているので、スタッフたちとともにブランドのことを考え続ける限りは、適応していけると思いますし、していかないといけないと思っています。
予定通りに進まないことに対しても、「適当になろう、許そう、受け入れよう」と考えることにしました。これは、自分のことを一番よく知る僕自身からすると、革命的な変化なんです。
自分の信念を曲げず進んでいますから、アダプトしていると思っています。
いろいろなことをリセットする期間でした。自分の仕事道具を見直してみたり、オンラインで化粧品を買って自分の顔でテストしたり。ずっとやりたいと思っていたことができたり。会わなくなる人もたくさんいましたけど、これからは本当に大事な人とだけ会えれば良いのかなって思います。大切なものがより大切だと気づけました。
ツアーの最後に一郎さんも言っていたと思いますが、結局変わらないことが大事な気がしています。適応することと変わることは違う。何かがあったとき、振り回されずに変わらないことが大事だと思います。
遠距離恋愛(友達)ですね。山口くんのことは、僕は友達としてではなく、外から見ていても興味深くて、大好きです。山口くんもね、毒とかいっぱいあるんですよ。人間として面白くて、すごい好きです。僕がもし本当にお金が無くなって、少しでも稼ぎたかったら、山口くんだけの暴露チャンネルをやろうかな(笑)。
コロナも世の中全体のことも、自分の意志でコントロールできない物事を過剰に心配してもしょうがないから、抗えない世の中の流れには身を任せて、漂いながら出口を探そうっていうのが僕の基本的な考え方です。
「日々やってること」ですね。引っ越しをして、24時間、ほぼ香りとお茶のことだけを考える時間が持てました。朝起きて、最初にどの香りを付けるかとか、お茶は何にするかとか、そういうところを意識的に。もう修行僧みたいなもんですよね。
やっぱり楽しまないとダメだとは思います。好きなものを好きでいて、それを吸収すること。一緒にいたい人やしゃべりたい人と話すこと。僕にとってはそれが大切です。
映像の収録に新たな方法を得たことです。反対に、昔のライブの熱狂は失われています。人間が一箇所に集まって、争いもなく音楽を聴いて気持ちが高揚する。そしてまたみんなそれぞれの場所に帰っていく。その行為自体に価値があることだと思っているので、配信のライブでは代替できないもの。コロナが収まっても、前のようにライブシーンが戻るのか心配しています。
次世代に繋いでいくために、必要な時間だったと思います。この期間で6代目の役割についてや、祖父や父の思い、今やっていることが、子供のためになるんだろうかと思いを巡らせました。きちんと考える時間がなければ僕の人生はダラダラと進んでいき、時間が来たときに何となく次に渡すということになっていたかもしれません。
“いなす”こと。“適応”は自分だけではどうにもならないこととか、何かパワーのあるものに対してするわけだから。緊張して力まない方がいい。力んで適応すると、自ら辛くなっちゃうと思う。“いなす”ことは、元来、日本人は得意なはずだから。
手放すことです。ものづくりやラジオの生放送中など何かを判断するとき、僕が大事にしているマイルールが100個あるとしたら、99個はガチガチに細かく設定されているんだけど、100個目に“そこまでの99個を全部無視していい”というルールにしているんです。ルールが増えて1,000個になっても、999個はガチガチのルールで、1,000個目は“全部無視していい”という。手放せるかどうかだと思うんですよね。それまでの自分とか、価値観とか、アイデアとか、勝因とか、ノウハウとか。今までこうやってきたんだからこれは譲らない! みたいになってしまうと難しい。